Ninnami Dohachi: An Observant and Brilliant Potter |
ボストンからも里帰り |
のびのびと、まじめに。 |
仁阿弥道八(1783-18355)は、京都の陶工・高橋道八家の二代目にあたり、清水五条坂を拠点に活躍した京焼の名工です。 茶道具から、食器、置物など彫塑的な作品にいたるまで多くの魅力的な作品を残しました。
仁阿弥道八は、関西では 「仁阿弥」 と呼ばれ、仁阿弥の茶道具は茶席において現在もなお人気があるといいます。 しかし以外にも、仁阿弥道八の作品が展覧会でまとめて公開される機会が決して多くありませんでした。 |
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天才陶工 「仁阿弥道八」展 |
幕末京焼の天才陶工 高橋道八家の二代目仁阿弥道八(1783-1855)の珍しい作品展
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「展示構成」 |
本展は、幕末京焼の名陶のひとり、仁阿弥道八の、茶の湯道具、煎茶道具、立体的作品まで幅広く、多くの作風を概観できるように、184件を一堂に公開します。
初代高橋道八の作品、仁阿弥の弟・尾形周平の作品、仁阿弥道八の作品、さらに江戸時代末から明治にかけて京焼を支えた一人に数えられる、息子・三代高橋道八の作品、そして現在九代高橋道八として活躍の色絵の作品五点を展示しています。 |
「展示構成」 |
第2章 仁阿弥の茶道具と 「写し」 の技量
仁清以来、京焼の陶工は中国や朝鮮半島のやきものの技法、様式を活かし、上手に写す技量は成功の鍵になりました。 一方で、19世紀になると茶の湯は社会に広く普及して、寺院での大法要、公卿、武家、豪商の交際に必要な教養となり、茶道具の需要が高まり、高級な茶道具の 「写し」 が京焼の陶工にも注文されました。 ここでは、仁阿弥道八の面目躍如たる茶道具の数々と仁阿弥が手がけた 「写し」 の作品のご紹介です。 ・21最左側 《青磁象嵌菊花文龍耳瓶》 仁阿弥道八 江戸時代 十九世紀 建仁寺蔵 京都・建仁寺には、仏器・茶器を中心に膨大な数の仁阿弥道八・三代高橋道八作品が伝わっており、高橋家と建仁寺との深いゆかりを証明する貴重な作品である。 |
第4章 仁阿弥の鉢 懐石の華 |
第6章 御庭焼の指導者として |
仁阿弥道八(関連年表から抜粋) |
1740 初代高橋道八(仁阿弥道八の父)、伊勢亀山に生まれる。 |
初代高橋道八は当時の大家、池大雅や上田秋成らと交流していたので、稀に合作の器がある。仁阿弥は紀州家、あるいは島津家などから招かれまたは命じられて陶器を作り、それぞれに恩賞を受けたという。三代道八は光央といい、道翁と号した。讃岐の国・高松藩の召に応じて讃岐に赴き、陶法を授けた。 |
建仁寺は、京都最古の禅宗寺院として1200年以上の歴史を誇るこの古刹の山内には、確かなものに限っても、仁阿弥の作品が30点以上伝わっている。 建仁寺は単に古刹として多数の古陶磁を所蔵していただけでなく、海外との文化的交流が極めて制限されていた江戸時代にも、朝鮮・中国・ヨーロッパといった海外からの輸入品を入手しやすい特別な環境にあった寺院だからである。 対中国・オランダ貿易の窓口であった長崎には、長崎代官の末次平蔵が壇越となって建立した末寺の春徳寺があり、代々の住職は輸入の中国書籍に御禁制の切支丹に関わる記述がないかどうかを検閲する書物改役に就いていた。 また、建仁寺は京都五山の一つとして、対朝鮮外交の窓口であった対馬の以酊庵へ住職を輪番で派遣する寺院でもあったから、朝鮮・中国・ヨーロッパなど海外の文物を手に入れるには極めて有利な環境にあった。 |
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参考資料:NEWS RELEASE No.sma0007、「仁阿弥道八」図録、他 |
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